最新の記事
カテゴリ
以前の記事
2011年 07月 2011年 06月 2011年 05月 2011年 03月 2010年 10月 2010年 09月 2010年 08月 2010年 07月 2010年 02月 2010年 01月 2009年 12月 2009年 11月 2009年 10月 2009年 09月 2009年 08月 2009年 03月 2009年 02月 2009年 01月 2008年 12月 2008年 11月 2008年 10月 2008年 09月 2008年 08月 2008年 07月 2008年 05月 2008年 04月 2008年 03月 2008年 02月 2008年 01月 2007年 12月 2007年 11月 2007年 08月 2007年 07月 2007年 06月 2007年 05月 2007年 03月 2006年 12月 2006年 11月 2006年 10月 2006年 09月 2006年 08月 ライフログ
検索
タグ
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
近所の図書館で何気なく本棚を眺めていたら、「水はみどろの宮」 という文字が飛び込んできてハッとした。 ちょうど屋久島から帰ってきたばかりのある日、友人がたまたま この本の素晴らしさを語っているのを目にして、読んでみたいなあと 思っていた本だった。 「山の動物たちが太陽を敬って陽(ひい)様と 呼んでいるの。夜になると陽(ひい)様にありがとうございますって 光をお返しするシーンがとても素晴らしい」と言って、少女のように 目をらんらんと輝かせていたのがとても印象的だったのだ。 元々神話や民話が好きで、人と動物が共に自然や神を敬い 共生していた頃の独特の世界観、アニミズムともいうべくよろずの 神をたたえ万物に感謝するという宗教観、そして、それらを取り巻く 壮大な宇宙観に魅せられていた。屋久島へ行く前にも屋久島や 九州の神話や民話集を斜め読みしていたため、山の中でどっぷり その世界に浸ることとなった。 そんなタイミングだったので、「水はみどろの宮」を語る友人の ことばが胸にスコンっと落ちてきて、あんまり臨場感たっぷりに 話すものだから、物語を読まずとも何だかありがたい気持ちに なった程だった。 その本と、偶然こうして巡り合えたのがとても嬉しかった。 物語は阿蘇山のまわりの山岳地帯が舞台とされている。舟の 渡し守の千松爺と孫のお葉、そして動物たちが自然を、そして そこに宿る神を畏れ敬い、深い緑、澄んだ水、命の源である太陽へ 深淵なる感謝の想いを捧げている。最後まで貫かれている彼らの 祈りにも似たその姿は、とてつもなく美しく清らかだ。 大自然から多くの恩恵を授かると同時に、時には奪われてしまう 大切な命。ひとつひとつの存在が、太刀打ちできない自然という 大きなサイクルに組み込まれているのであり、それぞれとの調和を 保って生きているのだということ。つまり生かされているのだという ことを、この物語はまざまざと語っている。 生きることが祈ること、感謝することであったこの時代には、どんな 生き物にだって、木の葉にだって命の尊厳があったのだ。 それにしても石牟礼道子という人は、何て美しくも活き活きとした 言葉を紡ぐ人なのだろう。 本を開くと、たちまち目の前は奥深い山の中に様変わりし、山吹色の 風が鼻をくすぐり、しゃらしゃらと音を立てて藤の花が川の水面を 流れていくのが見える。そして動物たちとお葉との掛け合いが 何とも愛らしい。独特の方言によって歌うように話す語り口は、 彼らをより一層活き活きとさせ、物語から踊り出てきそうな霊力を 与えている。 何だか嬉しくて楽しくて幸せな気持ちになり、一気に 読み終えてしまい、もったいないなあという気持ちにさえなった。 きっと何度も何度も読み返すだろう。思いがけない宝物が出来て とても嬉しい。 最後に石牟礼さんの「あとがき」から 「 私たちの生命というものは、遠い原初の呼び声に耳を澄まし、 未来に向けてそのメッセージを送るためにある。 お互いは孤立した近代人ではなく、吹く風も流れる水も、草の ささやきも、光の糸のような絆をつないでくれているのだということ を、書きあらわしたかった。」
by neuborder
| 2007-06-24 04:41
| 日々のこと
|
ファン申請 |
||