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蜩(ひぐらし)が一斉に大合唱する午前4時。都会より一足早く、森の朝ははじまる。
『カナカナカナカナ・・・カナカナカナカナ』 多様な高低差で重奏するその歌声は、ほろ酔い気分の私の体を突き抜け、一層激しく 目一杯森に響き渡る。それは、新たな一日を手放しで喜ぶ、歓喜そのもののように聞こえる。 そんな朝の洗礼を受けながら、私は埼玉と群馬の県境にあるとある里山で、月末から 数日間の時を過ごしてきました。 数年前、芸術家堀越千秋氏の個展で知り合ったネバちゃんに誘われ、千秋さんの窯 (通称千秋窯)で陶芸部の学生たちや仲間たちが火守をするというので、兼ねてから 千秋さんと交流のある友人朱ちゃんと一緒に尋ねて行ったのでした。 手伝うというよりは、文字通りお邪魔したというのがまったくもって正しいのだけど・・笑 私も朱ちゃんも仕事の締め切りが迫っていたので、日帰りもしくは一泊を固く誓い、 飲む気満々で酒片手の軽装で訪れてみるも、終始体を休めることなく働き続ける 若人たちを目にし、そうはいかない空気を早くも察することになるのでした。 到着して数十分後には不慣れな薪割りに苦戦し、汗だくで斧と格闘する私。そして二人で夕飯用に大量の野菜を一心不乱に切り刻むことに。もちろんお酒は常に手の届く所にあるのだけれど、ここでは遊びがただのお遊びではなくて、本気で遊ぶという鉄則、つまりしっかりと地に足のついた労働の名の元に、この素晴らしき遊びは成立してるのだということを、しみじみ感じました。 とにかく腑抜けな自分を反省するとともに、若人たちの薪を割る勇姿に、火傷を負いながら1200度近い窯に薪を投げ入れる姿に、そして、全身灰だらけになりながら炭で調理する姿に惚れ惚れするのでした。 何回か火入れをさせてもらったのだけれど、窯の蓋を空けた瞬間のあの全てを溶かしつけるような、唸るほどの熱の威力に圧倒され、半べそかきながらもなんとか薪を投げ入れるのに必死でした。雨で濡れた服を一瞬で乾かし、体内のアルコールをも一気に蒸発させてしまう火の力。熱くて焼け死ぬんじゃないかって思いと同時に、火の持つ太刀打ちできないその魔力のような力に、何故だか惹かれていくのでした。 神様がここにも宿っているのだな。だから当番さんだけじゃなく、みんなで火守をしなきゃならないんだろうな。みんなで楽器を鳴らしたり歌ったり、火の神様はきっとそんな祭ごとが好きなのだろう。火守をしていて、不思議とそう感じる瞬間が度々ありました。 案の定、根っからのんびり屋の私は到着したその日の労働を境にぱったり。ほぼアル中状態で山中をうろうろし、数々の楽しいイベントだけしっかり余すことなく楽しむという横行に走ってました。みなさんスミマセン!ハンモックに揺られてみたり、土をひねったり、蜩の脱皮をひたすら 観察してみたり、美味しいごはんに舌鼓を打ったり、歌ったり。そして贅沢の極みに、満月の月明かりの元で行われた尺八奏者アントニオとハープを奏でるはりがやさんのセッションを堪能させてもらいました。うっとりするほど美しい音色と月の神々しいまでの輝きに、どこか異次元にトリップするかのような感覚を覚え、それはもう、贅沢な時間でした。 結局一泊のつもりが、そんなプロレタリアート的コスモポリタンな雰囲気にどっぷりハマってしまい、気がついたら朱ちゃんには人質として置いていかれ(もちろんまんざらでもないわけです)、最終日までしぶとく滞在してしまうことに。 体中に蚊に刺された跡と、泥酔して転んで作ったあざが残ってたけど、何の勲章にもなりませんね、わははは。それにしても、体を使った労働は美しいです、映画「アレクセイと泉」で心打たれた、アレクセイの美しさに匹敵するような輝きを、そこにいる一人一人に感じました。 千秋窯を訪れる人々は実に多彩でした。陶芸部の学生を中心に、フラメンコダンサー、モデル、ミュージシャン、絵描き、版画家、編集者、有機栽培のスペシャリスト、坊主に博士に小学生、 お会いできなかったけれど山から仙人が訪ねてくることもあるそうです。そんな多種多様な方たちが尋ねてくるのは、やはり宇宙的なまでの器を持つ千秋さんの存在なしでは語れないでしょうね。千秋さんを軸に、人と酒と美味しい食材がとめどなく集まってくるのだから、物凄い吸引力の持主であるのは間違いないです。 今回2度目の再会に少々緊張気味だったけれど、現れた千秋さんの出で立ちを見て、全身のチャクラが一気に開いた気がしました。山中にして、上半身裸に海パンに長靴というスタイル!これ以上開放的なもてなしがあるだろうか。ああ、この人に一生ついて行こう。そう誰もが思わずには入られないそのスタイルに豪快な笑い声!その時点で、私の延泊は既に決定していたのかもしれません。 * * * * * 最終日のラストイベントは自然発生的にはじまった、気孔師である久美さんによるワークショップ。みんなで円になり、見様見まねで、ゆっくりと体を動かし大地や木々からのエネルギーを 取りこみ、体の中で循環させていく。はじめはガチガチだった体がだんだん緩みはじめ、細胞にまで新鮮な気が注入されるような温かくビリビリした感覚が体を巡っていきました。最後に目を閉じておへそに気を納めて終わるのだけど、あんまり気持ちよくて、ずっと目を閉じたまま深い呼吸に身をゆだねてました。 みんなも同じで、しばらく目を閉じて移ろう体の変化をじっと感じているようでした。私は森の音(木の葉が風でこすれる音や、鳥やセミの声など)がビンビン耳に入ってくるようになり、逆にそれ以外の音が遠のいていくような感覚になりました。木々からエネルギーをもらったことで、だんだん私の身体も森へと開放され、調和していくような清々しく気持ちの良い感覚でした。 そして、みんなで輪になって手を重ね、それぞれの気を感じ合うと、じんわり温かく、時に指先にピリピリと電流が走りました。怒涛のような私の山での4日間は、こうして森との対話、気を通してのみんなとの対話をもって幕を閉じたのでした。 見送られる車内から見た、先ほどまでみんなと過ごした作業場は、じんわり優しく温かい雰囲気に包まれていたけれど少しさびしくもありました。ひとり、またひとりと立ち去り、片付けられた後の殺風景な風景を想像すると、尚さびしいなあ。 森は元の静けさを取り戻すだけなのだけど、、また、ぜったい来よう。待っててね。 出会った素敵な方々、美味しい食材、山の生き物すべてにありがとう!!! みなさん、またお世話になります。 * * * * * 蜩の脱皮 紙コップにしがみついて脱皮をはじめた蜩。みんなで観察してたら コップから落っこちてしまい、柔らかい軍手の上に救出する。 みんなで頑張れ、頑張れ!と新しい命の誕生を見守り続け、 長い時間をかけてようやく少しずつ新しい姿を覗かせていった。 そしてついに殻から抜け出すと、みるみる羽根が伸びていき、 透き通る淡い緑色の蝉が誕生した。息を飲むほど美しいその姿に 一同うっとり。 これは命の色だ。 染色家の志村ふくみさんが、どうしても出せない色だと言ってた、 新しい命が誕生したときにだけ見せる、とどめることのできない、 神秘の色。思いがけず目の当たりにすることができ、 なんだか拝みたくなるような気持ちでいっぱいだった。
by neuborder
| 2007-08-03 04:47
| 日々のこと
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