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行きたいイベント盛り沢山なのに、やらなきゃならない雑務との狭間で
パニくり、結局一歩も外へ出ずに土日まるまる缶詰状態(涙)ひーん! そんな中、無類の鳥好きの相方が、鳥のビオソフィアから何やらほくほく顔で帰宅しました。 面白いみたいですよー、久々に充実した展示を見たとご満悦です。数多の鳥の標本がかなり シュールかつエキセントリックに展示されているようで、全体としてもとても美しい世界が現出 しているようです。私も近々行ってみようっ。 そして彼は、本郷の古道具屋で400円しかないと言ってまけてもらったオペラのレコードと ギリシャ神話のモチーフのイカした栓抜きをしたり顔でぶら下げておりました。 早速クラッシックオペラ視聴。面白いですね~。自宅でオペラは初めてなので新感覚でした。 テンションからたぶん喜劇と思しき登場人物の、顔や姿かたちを声色から想像するのが とっても楽しいです。ぜったい赤ら顔だよなーとか、貴族じゃないな農夫だな、とか。 ニヤニヤしながら、出版社に持ち込む資料作りをしてました。あはは、こんなんでいいのか。 でも、舞台で繰り広げられる物語を、耳だけで想像するのってイマジネーション膨らんで なかなかスリリングですね。言葉がわからないときたら尚更、ニュアンスを読むトレーニングになるんですね~。 * * * 「ニュアンスを読む」でひとつ思い出したのが、故ジャック・マイヨールと友人やまちゃんの ダイビングの師匠である、成田均さんとの交友記。兄弟の契りを交わすほどの仲だったにも 関わらず、フランス語と秋田弁で会話していたという話を聞いて、まさに二人がホモ・デル フィナス(イルカ人間)だから、言葉は不要だったのだなあと感じた。相手の心を互いに読む ことができたから、共通言語は必要なかったのだろう。というより、共通言語がイルカ人間特有のテレパシーだったと言ったほうが正しいかな。 マイヨールや成田さんが提唱し続けた、ホモ・デルフィナスの思想とは、 「もし、人間がイルカのインスピレーションを少しでももっていたら、地球は平和になるだろう」 というものだ。 「自由になるために。 すべての野生の動物が自由であるように。 飛ぶように。 鷲のように悠々と飛ぶように。 そして海の中に潜る。この自由。 静かな世界に、イルカのように潜っていく。 空気になるために。 そして母なる、すばらしい海の子宮に戻りゆくために。 ―これが“ホモ・デルフィナス”イルカ人間のモットーです」 身近にいた人たちによると、マイヨールはほとんど人間というよりイルカに近かった そうなので、このように「イルカ人間」と提唱したのだろうけど、これは動物とか人とか 種に捕らわれることのない、地球生命体として生きるということ。その共通理解を 交換し合うという、全生命に関わるラブ&ピースの哲学だと受け止められる。 私も、あらゆる他者との関わりの中で、そのイルカ的インスピレーションがとても大切なこと のように思う。相手の間や呼吸に注意し、心をよんでいくことは、自分とは異なる存在との 相互理解の上でとても必要な行為なのだと思うから。争いの火種になるような無数の境界線 を取っ払って、先入観や表面的に相手を象るものではなく、本当の意味で相手を感じ、相手 を知るということなんだろうなあ。 ホモ・デルフィナスは「思いやり」の思想ともいえる。けれど「思いやり」とは、相手に 一方的に親切にすればいいというわけではない。喜ぶ人もいるかもしれないけれど、 私はリップサービスやうわべの親切が大の苦手で、そういうものから逃げ回ってしまう(笑) 相手を思いやったり、本当に何を望んでいるのか読めないからこそ、過剰な親切 やリップサービスが必要なんじゃないの?なんて意地悪に考えてしまうこともある。 * * * ここ最近、前の職場の同僚と話題にしていたことにも通じるなあ。あ・うんの呼吸で こなしていくような流れ作業を数人で行うとき、うまく行く人といかない人がいる。 それは、口で説明できるものではなく、感覚として相手の動きに注意し、読んでいけるか どうかに関わってくるのだろう。暗黙の了解で見えない何かを共有していなければ、 うまく噛み合わないのかもしれない。信頼関係が築けているかどうかというのもそうだけど、 立ち振る舞いや先々を読んでいく行為というものは、教えられるものではなく、様々な環境の 中で自然に培われていくものだと思う。 友人は、それができる人が少なくなってきていることをとても懸念していた。例えば、そういう 流れ作業ができない人は、通りみちに平気で私物を置いて塞いでしまったり、人の座席に ゴミ箱をひょいと置いてしまったり、理解できないことが多いのだとか。これって、人が集団から 孤立して生きるようになったからかなあ。更には体を使わないで頭ばっかり動かしていることと 関係あるかも。うわーん、人事じゃないね、ほんと気をつけなきゃ。 * * * 前回の日記の内容を含む「他者理解」について、「風の旅人」の編集長ブログから ほんのりインスピレーション受けたので、ここに紹介します。実は前回の日記タイトルも ここから引用しました。 ロシア人演出家による宮沢賢治の舞台と、坂田明、田中泯両氏による即興舞台を比較 して読み解いていて、うーん、とうなるほど考え深いです。 風の旅人 編集便りより 『人のためになる「行い」!?』 全然違う話書くはずだったんだけど、脱線してこんなところに漂着してた。 いつものことだけど、脱線による学び、これぞ新哲学。ここに襲来?
by neuborder
| 2008-04-21 05:33
| 日々のこと
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